我が家では、言い争いの際にPuchi(妻)が放つ捨て台詞は大抵「何でもシンプルに考え過ぎなんだよ」です。
これに対しTochiは、(シンプル過ぎてダメだと言うのは単に議論を放棄しているだけ、間違ってるならそれを具体的に指摘したらしい)と思う反面、実は特に人間関係などに事に関してはPuchiの言い分の方が大抵正しい(上手くいく)事を経験的に理解しています。
これは一体どういうことなのでしょうか?
考えるという行為は大抵、世界を歪める行為
ナシーム・ニコラス・タレブさんの「ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質」によると、考える(講釈)という行為は以下のようなものだそうです。
「私達は講釈が好きだ。私達は要約するのが好きで、単純化するのが好きだ。物事の次元を落とすのが好きなのである。私はそれを、講釈の誤りと読んでいる。(ほんとのところ、誤りというより、もはやインチキなのだが、誤りと言ったほうがお行儀がいいのでそうしている。)この誤りが起こるのは、私達が深読みに弱く、生の真実よりも手頃な大きさにまとまったお話のほうが好きだからだ。そのおかげで、私達の頭の中に世界はひどく歪んで映る。稀な事象に関してはとくにひどい。」
ありのままでは捉えられない脳
私達は大抵、複雑な物事からシンプルに観察できる一面だけを取り出し、そこに適当な物差しを当てることで複雑なことをわかった気になります。複雑なことを複雑なままで捉えるのは非常に困難だからです。
例えば、立方体の切断問題はどうでしょうか。3次元の立方体を切断するという非常にシンプルな問題のはずですが、(少なくともTochiには)かなり難しいです。
問題:赤い3つの点を通る平面で立方体を切った場合の、切り口の形はどうなりますか?
解答
参照)http://www.suguru.jp/cut.pdf
意外な答えも含まれていたのではないでしょうか?もし簡単過ぎたらもっと難しい問題もありますのでリンク先でチャレンジしてみて下さい。
これは3次元(縦・横・奥行き)の問題ですが、現実はこれに(時間)が加わった4次元です。しかも現実はこんなにシンプルな立方体ではなく複雑な形をしており、様々な事柄が様々な想いと共に絡み合って構成されています。
私達の頭の中でそれらを正しく再現することは到底出来ません。この為、私達は物事を極端に単純化してしか考えることが出来ません。しかし極端に単純化して物事を捉え、そこで得られたパターンや結論が、いざ複雑な現実の世界に戻した際にも同じ様に通用するとは限りません。
脳に映る世界
私達は視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の5感で世界を感知し、これらの情報を脳内で統合して再構築することで世界を認識しています。これらのプロセスは全自動で行われるため、普段私達が意識することはありません。
例えば犬の嗅覚は人に比べて数千倍から1億倍優れていることが知られています。この為、私達と犬とでは全く違う様に世界を感知していると考えられます。犬は一体ヒトの足をどんな風に感じているのでしょうか?
犬が知覚する足のイメージ(匂いの視覚化)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27846540Y8A300C1000000/
また鳥類は私達よりも視覚が優れており、赤・緑・青以外にも私達には透明にしか見えない紫外線を見ることができます。この為、鳥の見る世界はヒトのそれよりも遥かにカラフルだと考えられています。
鳥が知覚する鳥のイメージ
https://logmi.jp/business/articles/157552
流石に種が違えば多少世界の見え方が違っても仕方がないと思いたくなりますが、実は同じヒト同士でも見ている世界が同じとは限りません。例えば視力の低いヒトと高いヒトとでは見ている世界の様子はまるで違います。
視力の違いによる見え方の違いのイメージ
https://corobuzz.com/archives/21475
またはただそのヒトの欲望を反映していたり、見たいものを見ているだけかも知れません。
エロく見えたら汚れた大人のイメージ
この様に、世界は1つの姿をしていても、その見え方は実に多様です。私達が認識している世界はあくまで私達の脳内に投影された世界でしか無く、世界を知ろうという行為はまるで脳という袋の内側から袋の外に向けて一生懸命手を伸ばしている様な物です。どこまで手を伸ばそうと触れられるのは袋の内側だけだし、世界の果てまで袋が伸びる保証なんてありません。越えられない限界があるのは明らかで、いつまで経っても世界の本当の姿を知ることは叶わない事でしょう。
袋の中から手を伸ばす(努力を放棄した)イメージ
考えることの目的
脳は複雑なことを複雑なまま捉えられないし、そもそもヒトは世界の姿を正しく認識することすら出来ません。それなのになぜ私達には知的好奇心があり、色々なことを調べ、極端にシンプルに考えて世界を歪め、それで何かを分かった気になるのでしょうか?
例えばヒトは何か新しいものや新しい現象を発見すると、それが何かわからなくてもまず最初にやることがあります。名前を付けることです。次にそれを見つけたらこう言うのです。
「あ、それラッスンゴレライだよ。」
どんな脅威があるかわからない未知のものでも、名前を付ければ少しだけ安心できます。そして、もっと安心したいので色々と調べます。
「どうやら反日みたいだよ。」
そして脳内で反日というラベルを付けて引き出しにしまいます。何だか随分ラッスンゴレライの事が分かった様な気がします。これでかなり安心です。本当に反日なのか、ラッスンゴレライとは一体何なのか、そんなことは実は大した問題ではありません。
多くの場合、何かを考える目的もこれとよく似ています。自分にわかる範囲で世界を咀嚼し、ラベルを貼り、引き出しにしまうことで安心したいのです。
どこに行けば水があるのか、どこに行くと崖があるのか、誰が怖いのか、誰が助けてくれるのか、どうすれば食べられるのか?
原始時代の知的好奇心ならそれで十分だったのでしょうが、現代においてはそうはいきません。シンプルに考えて勝手に理解し、それで安全だと思い込んでも本当に安全だとは限りません。現代は余りにも情報が多すぎるし、人が多すぎるし、複雑過ぎるからです。
愛だと思ったらロマンス詐欺、そんな時代です。
シンプルの代償とありがちな逃避
脳みそ Z:「オラ、世界を知りたい訳じゃないんだ、安心したいだけなんだ!」
安心したいからシンプルに考えて分かった気になる。だけどそれだと危険は減っていないかも知れません。もし認識がズレていたら却って危険が増しているかも知れません。
シンプルな世界の答えが複雑な世界でも通用するとは限らない。
そして、一時の安心感と現実の安全のどちらが大切かなんて明らかです。
よし、Puchiの言う通りにしよっと 😅 love truth…
コメント
Tochiさん、こんにちは!深いですね!
ヒトは安心したいからシンプルに考えて分かった気になる。そうだと思います。ブラックスワンもテクニカル分析もそうかもしれませんね。ところでエロく見えなかった私は汚れてないってこと?(シンプルに考えすぎ!)
>ヒトは安心したいからシンプルに考えて分かった気になる。そうだと思います。
やっぱりそうなんですね!自分は色々調べ物をするのが好きなんですが、どうしてかと考えてみると知的好奇心が湧くからではなく単に失敗したくないからとか、わからないままにしておくのが不快だからとか、そんな感じなんですよね。
一方で、何の役にも立ちそうもない宇宙だの経済だのに関して知的好奇心を燃やしている学者の先生達は一体どういう思いで動いているんでしょうねぇ、想像も付きません。
>エロく見えなかった私は汚れてないってこと?
一口にエロと言っても色々なエロスがあるという話ですからねぇ、Mineyukiさんにとってのエロスとは一体どんなものなのなのか、やはり想像も付きませんね☆