*妊活関係の露骨な表現が含まれますので苦手な方はここで閉じて下さい。
我が家は何故か、40歳を超えるくらいになってPuchi(パートナー)の意向で妊活が始まった。10年以上に渡っていたレスをシリンジによって何とか克服し、何度かタイミング法を試したもののカスリもしなかったが、人工授精の1回目で奇跡的に妊娠にこぎつけた。
しかし、年齢が高いことが災いしてか、敢え無く流産になってしまった。妊娠検査薬で陽性が出た後、1度目の検診で胎嚢、2度目の検診で心拍が確認されたものの、3度目の検診で心拍が見えなくなり、4度目の検診で停止が確定。9週目前で止まったようだ。
無痛分娩の病院に予約を取り、10週目になったら出生前診断(NIPT)をやろうと思っていたのだが、その前にダメになってしまった。
「9週の壁」というそうだが、この時期までは流産が非常に多いらしい・・。
Puchiの感想
「悲しかったけど、それよりは、あ~半々くらいの確率だったのに運の悪い方を引いちやったな」という感じだったらしい。恐ろしく冷静で非常に助かる。
行動も早く、3度目の検診で心拍が見えなくなると、1週間待つのが嫌だからという事でその日中に他の病院で再検査をしていた。結局確定まではさらに1週間待つ事になったが、2つの病院で心拍が確認できなかったことで早々に覚悟が出来て、次に目を向けることが出来たようだ。
確定後は自然流産を待つのが(怖いから)嫌だった様で、流産手術をしたもののhCGの下がりが悪く(恐らく流産手術で完全に取り切れていないのではないかとのこと)、低下を待って妊活を再開するつもりの様だ。
Tochiの感想
妊娠を聞いた時は嬉しかったが、それ以降、「だったら家を買う場合の部屋数は4つ欲しい」とか、「通学圏内に学校が欲しい」とか、「インターナショナルスクールに通わせたら年間300万もかかるのか(ダメだコリャ!)」とか、色々と妄想をしていた。
まあ楽しいが半分、制限が増えて面倒くさいが半分といったところだった。
心拍が確認できないと聞いて最初に思ったのは「あー不運だな。Puchiがかわいそう・・」ということで、子供がいるという実感がなかったせいか、高確率で流産することを覚悟をしていたせいか、流産したという事自体は特に悲しいとは思わなかった。
まあ、「まだあると思えていなかったものが無くなったと言われても、最初から最後まで何の実感も持てなかった」といった所だろうか。
今後の方針
そしてここからが大変だった。
なぜなら、もうすぐ妊活終了予定の1年が過ぎるからだ。
しかもこの期に及んで「後2回人工授精をやって、それでダメなら体外受精をやりたい」とかいい出す始末。
妊活を始める時の条件だった、
・年齢が年齢なので、1年やってダメだったらスッパリ諦める
・確率は低いが、なるべく自然がいいので(実は怖いが理由だったらしい)体外受精はやらない
という約束をさくっと反故にするつもりらしい・・
「一体何歳だと思ってるんだ、30歳じゃないんだぞ。そもそも約束が違うだろ!」というと、「昔の私のことを今の私に言われてもどうにも出来ないからやめて!」だとー。
確かにね。(いやいや、でもそれ大人が言う?K国ですか?)
ま~、正直うんざりもしたが、どうやらこの1年で子供が欲しいという気持ちがPuchiの中で爆上げしたようだ。
それでもここからは特に年齢が上がれば上がるほど成功確率が急減するので、確率の低い人工授精で時間を潰すのは諦めてもらい、早々に確率の高い体外受精を始めるならやむ無し、という事で話は何とか決着した。
色々調べたらPGT-A(着床前診断)という卵の選別をすれば、高齢の染色体異常をある程度軽する(流産が減る、生産率は大差ない。但し高額&適用条件あり)ことができるようだし、体外受精なら病院によっては高齢であってもそれなりに高い確率で妊娠が可能なようだった。3回までは保険が適用になったという点も後押しだ。
それにしても、当初一番避けたかったはずの「妊活の沼」に見事嵌ってしまった様だ。
これで最終的に上手く行くならまだいいのだが、もしダメな場合どうやって諦めを付けるのだろうか、失敗ばかりを長く続けて辛くならないのだろうか。
そして、一体いつまで続けるのだろう。などと思う反面、既にこの不安定な状況にすら慣れつつあるから不思議なものだ。
(つづく・・)
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