テレビは不幸への道標?

幼少期、朝鮮にて終戦を迎えた作家、五木寛之さんの「大河の一滴(1999)」を読みました。小説なのかと思っていたらエッセーで、どうやら現代社会にやたらと絶望している様子です。

昭和初期に生まれ、戦争を体験し、京都の龍谷大学で仏教を学んだお爺ちゃんの目に映る現代(といっても20年前だけど・・)とは、一体どんな世界なのでしょうか?

例によって個人的に興味深かったところだけまとめてみました。

 

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 命の重さが実感されなくなった 

酒鬼薔薇少年の「透明な存在である自分」という表現には時代の実感というものがひそんでいると感じたのです。自己の生命の重さが感じられない。それが時代の実感なのです。そして、自分の命の実感がないということは、イコール他者の命も同じ様な重さでしか無いということになります。

ふっと衝動的に自分の命を絶ち、また軽々しく他者の命を奪う。私達は戦争中に勝るとも劣らない、死と隣り合わせの時代に生きているのです。それを平和と呼べるのか。ひょっとしたら、私達は平和という白昼夢の中にいるだけなのではないのか。

 

 Tochiの勝手な感想 

自殺者が多いとか、サリン事件だとか、酒鬼薔薇事件だとかの凶悪犯罪が多発しているとか、どうやらそういった事が当時の日本社会に絶望を感じている根拠のようでした。

いやー、でもそれって・・単にテレビの見すぎじゃね?

 

日本中のトップクラスの事件や事故を集めてセンセーショナルに報じるテレビや新聞ばかり見ていたら、それが日本の姿に見えてしまうかも知れない。でも当然だけどそれは大間違いである。統計データを見れば明らかで、日本は世界でもトップクラスに治安が良い。殺人事件に至っては米国の1/25以下しかない。

日本のイイところどすえ。はんなり

 

では何故テレビや新聞が不幸ばかり報じるのかと言うと、それは読者や視聴者がそれを求めているからであり、プロスペクト理論に基づけば、ヒトが良い事象よりも悪い事象を2.25倍も過大評価する傾向が原因なのかも知れない。単純に不幸を流したほうが幸福を流すよりも視聴率が稼げるのだろう。

そして、利用可能性ヒューリスティック(頻繁に接しているものを重要だと勘違いする認知の間違い。コ○ナetc…)によって、日本は凶悪事件ばかりであり、それが日本の社会を象徴しているかのように思い込んで、勝手に絶望してしまう。

日本の未来を憂うのは、単に暇なおっさんの特徴

 

そんなことが概ね正しいとすれば、リタイア後に社会の情報をテレビや新聞ばかりに依存していると、五木さんと同じ様に不可解な絶望感に襲われたり(コロナ脳になったり)してしまうのかも知れない。

一方で、(Tochiを含め)現代の若者はテレビを余り見ない。それよりも、YoutubeやSNSなどに時間を割いているのだろう。これらの新しいメディアのいいところは、自分の好きや面白いと思う情報を取捨選択してアクセス出来ることであり、絶望を押し売りしてくるテレビから、とりあえず開放されることにあるのかも知れない。

 

「絶望の虚妄なること まさに希望に相同じい」(魯迅)

コメント

  1. deds より:

    自殺は多いんじゃない?
    報道もされないからプロスペクト効果もないし
    俺は自殺が多いことは問題だと思うよ。

    • Tochi より:

      >自殺は多いんじゃない?
      少なくともコ○ナ死よりは何倍も多いでしょうね。

      ジサツは日本の個性や失敗を認めない国民性が大きいのではないでしょうか。排他的で空気感を最も重んじる国民性である以上、これはなかなか避けられないことなのかも知れません。
      とは言え、個人的にはジサツは「死ぬ自由」であり、「生きる自由」と同様に尊重されるべき人権の一種だと考えています。安楽死NGとか意味不明すぎます死。

      ちなみにですが、当時の話で言えば、バブル崩壊後なので自殺者の増加は単なる経済問題と見るのが妥当です。

  2. ああ より:

    こどもの自殺はやばいですけどね
    少子化なのにぐんぐん上昇してて
    この国ってやっぱやばいんだなと
    韓国よりも小中学生の自殺率は上だとか

    • Tochi より:

      >韓国よりも小中学生の自殺率は上だとか
      えぇ・・そうなんですか、知らなかったです。
      でも、それって多分多くはイジメが原因で、だとすればジサツというより他殺、殺人に近い事ですよね。
      犯罪の対応なんて、何の権限もない先生には明らかに手に余ることなんだし、ガッツリ警察が介入する様にすれば結構改善される気がしますが、どうなんでしょうね。

      • deds より:

        おそらく他人と付き合わない、精神病院に駆け込む
        これでかなり防げるのではないかと思うんだが、日本の場合どちらも忌避する傾向が高いから、なかなか深刻かなという気はする。

        • Tochi より:

          >おそらく他人と付き合わない、精神病院に駆け込む
          他人と付き合わないのでは、ジサツは防げても社会が機能しなくなっちゃいますね(笑)

          薬で治る場合も少しはあるのかも知れませんが、個人的な適応障害の経験からすれば、薬は頭をぼーっとさせるだけで事態は特に好転しないので、補助的な作用しか無い場合が多いような気がします。
          というか、やっぱりイジメのジサツはジサツではなく、間接的なサツジンとして処理するのが妥当ではないでしょうか。本人は逃げたいだけで、望んでジサツを選んでいるわけではきっと無いので。
          だとすれば先生や学校の出る幕ではないのに、下手にしゃしゃり出てくるから何も問題が解決せずにむしろ悪化してる要因になっている気がします。暴行や窃盗などの犯罪行為は即、通報すべしとすればいいのではないでしょうか。隠したら犯人隠避で先生を逮捕すればいい様に思えます。現状の教員の無限責任は余りにも非現実的ですから。

          それとは別に、イジメって社会でも蔓延していますよね、残念ながら。学校のイジメも社会に出る訓練の一環と考えるのであれば、過保護にしすぎると社会でのイジメに免疫がつかなくなるという弊害の方が大きくなり得る気もします。

          問題はさじ加減ということになるのかも知れませんが、余裕がなくて頭が原始時代みたいに硬い教育業界に、さじ加減を望むのはお門違い甚だしいような気もしますので、中々どうして解決は難しいのかも知れませんね。

          • deds より:

            警察に頼れる雰囲気を作ること、一人でも大丈夫だということを子供のころから言い聞かすことこの辺重要かもしれないですね。
            人付き合い亡くなった時点で絶望してしまうと本当に危険というか、自分もそうだったんで。
            そういう意味ではセミリタイアーを見てあの人たちでも大丈夫なんだなあという感じで気づいてくれるといいのだが、ちょっと無理だな。そんなもの見る人は少ないだろうから

            • Tochi より:

              >この辺重要かもしれないですね。
              ジサツを避けるためには重要かもですね。
              もうスマホの時代になったんですから、リアルが無理でもネットの中に仲間を見つけて楽しく生きていけばいいですけどね。
              AI彼女とか、AI友達とか、なんならAI教師とかでも全然いい気がします。

              >そんなもの見る人は少ないだろうから
              もし見てるのバレたらご両親に激怒されそう(笑)

              >人付き合い亡くなった時点で絶望してしまうと本当に危険
              いやしかし、ヒトという社会的な生き物のくせに社会で上手く生きていけないって一体何なのかなぁー・・とか、リタイアしてから思わなくもないです。
              逆に言えば、何で今の今までこんな反社会的な遺伝子が残ってきたのかというのが不思議です。反社も、それはそれで何か社会に対する役割があるのかも。ないかー。

        • ああ より:

          実際不登校の子もすごい増えてますね
          自殺自体はその時は防げるけども
          レールから外れるとなかなか社会復帰難しいですからね
          まあそれでも自殺するくらいなら自分を守ってほしいですけど

          • Tochi より:

            >それでも自殺するくらいなら自分を守ってほしいですけど
            そうですね。せっかく未来のある子供が自殺するなんて、何としても避けれるシステムのある社会になって欲しいものです。

            >レールから外れるとなかなか社会復帰難しいですからね
            かなり厳しいでしょうね・・。まあ、ほぼ単一民族で多様性に乏しいせいだとすれば、移民が増えてごちゃごちゃしてきたら良くも悪くももう少し寛容な社会になるかも知れませんが。