長寿リスクへの対処法、人生で一番大切な仕事、お金の老化

X(旧Twitter)のトレンドラインに介護との絡みで流れてきたので興味を持ったベストセラー、 (PR)「DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール ビル・パーキンス著(2020)」を読んでみました。

 

 

 

実際には介護のことには一切触れていない本でしたが(笑)、お金と人生の関係性について違和感を感じるほど合理的に述べている本でした。

例によって気になった箇所をメモリます。

 

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 人生が変わる「死」のカウントダウンアプリ 

私たちは、死から目を背けることで人生を最適化できていない。人々は死の話題を避け、それが決してこないかのように振る舞う。自分がいつか死ぬという事実から目をそらさずに人生を計画している人は少ない。私たちはその日を、遠い将来に起こるミステリアスな何かとしか捉えていない。

 

私は、自分の推定死亡日までの日数(年数、月数、週数など)をカウントダウンする「Final Countdown(ファイナル・カウントダウン、日本でもダウンロード可、類似アプリもあり)」というアプリを使っている。

そんなアプリを使うなんてぞっとする、という思う人もいるかもしれない。だが、死を意識することで、人生という限られた時間の大切さがわかる。

 

「ゼロで死ぬ」とは、金だけの問題ではない。それは時間の問題でもある。

限られた時間とエネルギーをどう使うべきか。私たちはそれを、もっと真剣に考えるべきだ。それが、人生を最大限に豊かにすることにつながっていくのである。

 

 「長寿リスク」への正しい備え方 

寿命を予測したところで、いつ死ぬかわからないという不確実性は拭えない。だからこそ人は、自分一人でリスクから身を守ろうとはせず、様々な保険商品を購入する。例えば、多くの人は早死にで家族を困窮させるリスクを回避するために、何らかの保険生命保険に入っている。

だが一方で、長寿リスクに対応対処する金融商品があることはあまり知られていない。死ぬ前に金がなくなってしまうリスクを恐れる人は多いのに、だ。それは、「長寿年金」と呼ばれるものだ。

長寿年金の仕組みはこうだ。長寿年金を買うと、掛け金は全て保険会社のものになる。例えば、60歳の時点で50万ドルの長寿年金を購入したとする。50万ドルはこの時点で全て保険会社が所有することになる。その見返りとして、あなたは残りの人生の月々の支払いが保証される(例えば毎月2,400ドル)。

どの保険も同じだが、もちろん長寿年金も無料ではない。だが、最高の人生を送るために生きてるうちに金を最大限に有効活用しようとするなら、長寿年金の購入はとても賢明な策となる。

 

 人生で一番大切な仕事は「思い出作り」 

人生最後の日に、満足のいく経験に満ちた人生を送れなかったと気がついた時の後悔がどれほど大きなものか、想像してみてほしい。

テレビドラマ「ダウントン・アビー」の執事カーソンはこのことを見事に表現している。

「人生でしなければならない一番大切な仕事は、思い出作りです。最後に残るのは、結局それなのそれだけなのですから」

 

素晴らしい言葉だが、うっかりすると片方の耳からもう片方の目に抜けていってしまいそうにもなる。その場では、なるほど、そうだなと共感して頷いていても、すぐにいつもの日常に戻ってしまう人は少なくない。私もそうだった。

 

 金の価値は加齢とともに低下する 

私たちはずっと、老後のために勤勉なアリのように金を貯めるべきだと言われてきた。だが皮肉にも、健康と富があり、経験を最大限に楽しめる真の黄金期は、一般的な定年の年齢よりももっと前に来る

この真の黄金期に、私たちは喜びを先送りせず、積極的に金を使うべきだ。老後のために金を貯め込む人は多いが、「人生を最大限に充実させる」という観点からすれば。これは非効率的な投資だ。単に周りがそうしているかという主体性のない理由で貯めてる人も多いが、金は将来のためにとっておいた方が良い場合もあれば、今使った方が良い場合もある。その都度最適な判断をしていくべきなのである。

 

 

 

 資産を減らすポイントは45歳~60歳 

人生を最適化するようお金を使う場合、大半の人は45歳~60歳の間に資産がピークに達する。この範囲から外れると、人生の充実度を最大限に高めるのは難しくなる。つまり、経験のために金を十分に使い切れなかったということになる。

このことがあなたにとって何を意味するのか?

例外的なケースでない限り、これまで一般的に推奨されてきたものよりも、はるかに早い段階から資産を取り崩し始めるべきということだ。

例えば62歳や65歳になるまで資産に手をつけなければ、決して使い切れない金を稼ぐために働き続けることになる。活用できない金のために貴重な時間を仕事に費やすのは、とても残念なことだ。

 

 

 

 Tochiの勝手な感想 

経験の記憶(思い出作り)を価値とし、より多くの良質な経験を重ねるためにお金と時間の使い方を最適化する。

普段から何となく重要だと感じてはいることだけど、それを明確に示してかつ具体的に検討してくれていた点が興味深い本でした。参考になる、もしくは目からウロコの部分も多々ありました。

 

一方で、死ぬ前に残るのは経験したという記憶だけだからといって、経験に最も価値があるとするかどうかは多分に個人の価値観の問題である様に思えました。相場に限らず、価値は時間や状況によって常に変化します。死ぬ前に価値が高いことと、生きている時に価値が高いものが必ずしも一致するとは限らず、だからこそ死ぬ直前に「働きすぎなければよかった」と思う多くの人も、現役時代は実は働いて成果を得たり承認欲求を満たすことに一番の価値を感じていたのではないでしょうか。

経験が重要だということは十分に実感する所ではあるものの、そんな人生最後の日にピークを迎えるだけの儚く移ろう価値を、生涯に共通した普遍的な価値であるとする点には今一納得ができませんでした。大体、死ぬ前なんてボケてほとんど忘れてるかも知れないし。

 

生物として考えればどれだけ子孫を残せたかがきっと価値だろうし、主観的には今がどれだけ楽しいか(充実しているか)や未来への期待感こそが価値だと思うし、社会的には偉業や後世に残る発明でもしない限りは無価値、くらいが妥当じゃなかろうか?

いやむしろ、ヒトとしてなら「何を自分にとっての価値とするか」を探す事こそが実は生きる意味だったりするんじゃなかろうか?

 

それに「効率の最大化」が素晴らしいって言うけど、ヒトの浅はか極まりない脳みそで考えて本当にそんな道が探せるものだろうか?そして最短距離が本当にいいことなのだろうか。そんなにシンプルだろうか。その物差しや電卓は本当に合っているのだろうか?

逆説的に問えば、それを求めた結果が現代社会だとも言えると思うのだが、どうだろうか、素晴らしいだろうか?

 

何だかこの「DIE WITH ZERO」の主張は、効率を気にしながら忙しく動き回るのが好きなタイプのヒトが、その趣向を正当化するために無理くり編み出した合理性に過ぎないという感じがしました。勿論、同じ趣向のヒトにはそれで構わないのでしょうが、それが必ずしも一般化出来る様にはちょっと思えません。

“急がば回れ”、真っ直ぐ行くより回り道をした方がむしろ楽しい事があるかも知れなくない?

 

・・”負け犬の遠吠え”、なのかな?

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