アーリーリタイアを控えて思うこと。お金と常識と価値 (17/4/17)

-shared-img-thumb-freee151108309478_TP_V.jpg 先日のブログは一言で言えば「Tochi、もう働きたくないけど美味しいご飯は食べたい。」でした。そりゃそーです。朝の新宿駅で足早に階段に向かう人々の列の異様な光景とその顔を見れば、誰だってそう思っていることくらい小鳥にだってわかります。
 
仕事の目的はやり甲斐なんて法律がある訳ではないし、ほとんどのヒトに取っては自身の生活のため、あるいは家族を守るために必要だからやっていることでしょう。そんなヒトにもし「もう働きたくないから辞める。」なんて相談しようものなら即答で「Tochi狂ってる。」と言われるのはマブタをつぶらなくても目に浮かびます。
 
そこで試しに、少し物悲しそうな雰囲気を醸し出しつつ
「あなたは正しい。けれど、正しさの中にいるあなたからはとどかないものがある。そうじゃないだろうか、、」などど夏生風に反撃しようものなら、良くて激怒、最悪頭と胴体のバランスが少し崩れる可能性すら秘めているくらいの危ないアイデアであることも薄々勘付いてはいます。
 
 
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 でも。。 

 
結局はお金と常識との向き合い方なんじゃないかと思うんです。
 
経済のためには沢山稼いで沢山使ってくれるヒトが一杯いるのがいいのはわかります。一方、元々どケチで物欲も少ないTochiの出費の大半は食費とアパート代。ならば、ど田舎に住んで畑で野菜を作り、タンパク質は小屋で飼う鶏の卵から摂取し、たまにお肉が食べたくなったらオスから順に締めて美味しく頂く生活を選べば、そんなに稼ぎやお金がなくても案外なんとかなるんじゃないか、と。
 
それにサラリーマンが普通になったのはせいぜいここ数十年の出来事。生命の歴史は40億年。サラリーマンであることの普通は生き物としてはむしろ異常である様にも感じます。そして、そう思うんだったら40億年かけて培われた遺伝子の声に耳を傾け、少し原点回帰するのも悪くないかも。まあそれで、いよいよ生活が立ち行かなくなったらお金のためにと腹をくくり、アルバイトでも出稼ぎでも必要な分だけすればいいか、と。
 
 

 Putchiの勝ち 

 
子供がいると話はそうシンプルではないでしょう。何せ大学まで出したら全て国公立でも1人辺り3,000万円とも言われてますから。節約といっても限度がありそうなもの。Tochiは犬さえ飼えれば大満足ですし、子供なんてうるさいし高いし、可愛いは正義とか意味わかんないから要らないと思っていたのですが、付き合って10年以上になるPutchiが最近になってほしいと言い出し、いくら理屈を並べても聞く耳此処にあらずです。でも今は少し楽観しています。学歴なんて既にオワコンだし、普通だって変わるんだろうから。まあちょっと時代を先取るかも、知らんけど。
 

 Tochiの価値 

 
何にせよ一番驚きなのは、こんなTochiでも仕方ないからいいというPutchiです。Tochi系は年収で判断され、Putchi系は年齢で判断されるという某相談所のアレが間違えていたのか、さもなくばTochiのアレがよっぽどアレなのか、Putchiのアレがアレなのか。。
 
触らぬ神に祟りなし。何はともあれ、こんなに可愛くて、優しくて、お料理上手で、スタイルがいい上に天才的に頭がいい Putchi |д゚)チラッ が一緒にいてくれて、Tochiはとってもラッキーな小鳥です ヽ(≧∀≦)ノ ひゃほーい
 

だから皆んな株なのかっ、いとかしこ

 
 

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