「バブルが懐かしくて眩しいのぉ・・」あの頃に戻りたいじじい達

小渕内閣の経済戦略会議の議長代理を務めたり、ソニーの取締役も務めた経済学者の中谷巌さんの「資本主義はなぜ自壊したのか「日本」再生への提言(2008)」を読みました。

出版されたのが丁度リーマンショックの直後ということもあってか、現在のグローバル資本主義は間違っており、信頼を大切にして温かみがあり、多神教で自然を大切にする素晴らしい昔の日本特有の社会を取り戻せ!みたいな内容でした。

正直、バブルジジイの郷愁まみれの猛言にしか聞こえない部分が多かったですが、一方で利潤追求を目的とする資本主義が必ずしも人々に幸せをもたらしていないのは紛れもない事実であり、色々と考えさせられる内容でした。

例によって個人的に気になった部分だけをまとめます。

 

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 素人が株で儲けるのが無理な理由。情報の不完全性 

確かに、インターネットの普及によって誰もがリアルタイムで世界中の情報にアクセスすることができるようになったことは、市場経済にとって朗報であった。しかし、ネットで入手できるような情報は世界中で共有化されているのだから、その情報価値は限りなくゼロに近い。逆に本当に価値がある情報はネットでは決して語られないし、手に入れることはできない。そして、そうした「本当に価値ある情報」にアクセスできるかどうかが、しばしば利益を得る上で決め手になるのである。

 

次のような例を考えてみよう。

一部の人々や企業にとっては、情報とは単に受け取るだけのものではない。彼らにとって情報とは「創り出すもの」でもある。そして、情報を創り出すパワーを持った人たちは、その情報によってマーケットに影響を容易に与えうる。だが、マーケットの参加者の大部分にはそういうパワーはないのだから、自分たちに有利な情報を作り出せる人たちにより多くの利潤機会があることは当然である。そういう意味で情報は決して完全性を持ち得ないのである。

 

著名な外資系投資銀行に勤めている友人の息子さんは「素人が株で儲けようなんて元々無理だよ。我々プロが先に上澄みをすくい取ってしまった後に、一般の投資家が分け合っているようなものだからね」と言ったという。これなど、情報が非対称的であることの立派な傍証になるのではないだろうか。

 

 支配のツールとしての新自由主義 

こうした手品のタネがわかれば、誰が勝者になり誰が敗者になるかはあらかじめ予測できる。情報優位に立てるマーケットプレーヤーが勝つべくして買ったと言えるからである。

一方、こうした一握りの成功者に憧れて「自分も株で儲けて一山当てよう」と思った人たちはどうなったか。そのほとんどの人たちは、おそらくは損をしたはずだし、仮に多少勝つことがあったとしても、今回の金融危機で虎の子の資産を失うことになってしまったのではないか。

 

このようにグローバル資本主義なるものの背後には、情報優位に立つエリートやロビー活動で政治に影響力を持つ一部勢力が勝てる「格差拡大機能」が内包されているのである。これは憶測に過ぎないが、おそらく新自由主義の旗を振っていたアメリカのエスタブリッシュメントたちは、最初からグローバル資本主義が人々に対して平等に機能することなどあり得ないことがわかっていたのであろう。そして新自由主義的な言説が広まれば広まるほど、自分たちに有利に働くことに気づいていたのではないか。

その意味においては、アメリカ経済学や市場原理主義とはエリートたちの「支配のツール」に過ぎないとさえ言えるのではないだろうか。

 

 「国民総幸福量」を提唱したブータンの理念 

キューバと並んで、私にとって印象深かったのはヒマラヤ山脈にある立憲君主国ブータンの姿であった。ブータンは資本主義化の道を歩むことをあえて拒否しているユニークな国家なのである。

それではブータンの人々が考える「幸福」とは何か。私なりに要約してみれば、精神的にはチベット仏教に基づく伝統的な生活を守りつつ、それと同時に豊かな自然と調和して生きていくーこれを言い換えるならば、ブータンの人々は資本主義の「市場」の中で生きていくのではなく、社会や自然と共に生きていくことを選んだということになろう。

経済学では、市場での経済活動が社会にもたらす影響のうち、金銭に換算できないものを「外部性」と呼ぶ。

例えば資本主義が発達して、消費生活が盛んになった結果、伝統的な生活習慣が失われたとする。伝統が消えたことはその社会においとっては損失であるかもしれないが、その損失を金銭で表せないのであれば、それは経済学の対象とはならない。まさに「外部」性なのである

こうした経済学が持つ限界が、今や世界中で伝統文化を破壊し、社会の繋がりを破壊していると言ってもいい。

 

 グローバル資本主義というモンスターがもたらした「3つの傷」 

グローバル資本主義という怪物の出現によって、世界経済が活性化し、先進国のみならず、中国などの新興国の発展、ひいては名もない途上国の経済発展にも大きな刺激を与えたことは疑う余地がない。このモンスターは世界のさまざまなところに眠っていた資源(労働、資本、土地など)を市場取引の場に引きずり出し、その効率的な利用を行うことで経済成長を促した。

しかし、そのモンスターが国境を超えて派手に活動することによって、人間の社会は分断され、自然は破壊され、やがてはモンスター自らをも蝕んでいくとになった。グローバル資本主義という怪物が作り出した傷はあまりにも多岐に及ぶ。

このモンスターが人類に与えた傷の第一は「世界経済の不安定化」であった。

第二に「所得格差の拡大」という傷である。

第三に「地球環境破壊」という傷である。

 

 「日本」再生への提言 

「日本の社会は悪平等だ」「日本の企業は非効率的だ」と言われていた頃の方が、実は日本社会は、日本の会社はずっと元気だったのではないだろうか。この事実を再び私たちは思い出す必要があるだろう。

国民所得に占める租税と社会保障費の負担率(国民負担率)は日本の場合43.5%であるのに対して、例えばスウェーデンは70%超えている。これからの日本社会を考えた場合、税体系を根本から改めて、適切な所得の再分配を行い、貧困層をできる限り減らすことが急務であるのは間違いない。具体的には

・基礎年金を税方式にする

・消費税を20~25%にして、40万円を還付する(還付金付き消費増税=ベーシックインカム)

・簡単な余剰人員の解雇制度と、手厚い失業保険(労働市場の流動性の確保)

・「大きな政府」による経済の活性化

・地域社会での助け合い(地方分権)

・多神教で自然を大切にする精神を発揮し、環境技術で世界をリードする

 

などが挙げられる。

 

 Tochiの勝手な感想 

岸田首相が提言している「新しい資本主義」や「株式資本主義からの転換」などと似た部分が随所に見られる発想に思えました。仮にこれらの発想で政策が進んだ時に起きそうなことは、格差是正を口実に大増税が敢行されるものの、現役世代は自己責任として放置され、さらに世代間格差が拡大するだけなのでしょう。なんせ現役世代はせっかく給料が上がっても、増税のせいで可処分所得は減り続けているだけなのですから。

そもそも、ネズミ講の様な詐欺的な社会保障制度を作り、これを改めるどころか維持するためだけに増税し続けている政府なんて微塵も信用できません。

 

結局、人口ボーナスで潤っていたバブル期の記憶が幾ら眩しくとも、幾ら戻りたくとも、人口オーナス(労働者の減少で消費が低迷したり1人当たりの社会保障負担が増したりする)の現代ではそんな事は到底不可能な訳です。

こんな現実がまるで見えていないじじい達が日本の舵取りをしている(いた)なんて・・。どこに向かっているのか知りませんが、せめて舵取りは目を覚ましてからにしてほしいものです 😱

 

 

=22.2.22追記 ブータンの幸福度ランキング急落とその背景=

「かつてブータンの幸福度が高かったのは、情報鎖国によって他国の情報が入ってこなかったからでしょう」とのこと。知らないほうが幸せというのはあるよね、確かに・・

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