Tochiは今年でリタイア4年目ですが、たまたま投資が好調な関係で、予想に反してリタイアしてから資産が倍ほどに増えました。

妻(Puchi)からはしょっちゅう「ケチ!」と罵られるのは全く変わりありませんが(汗)、それでも自分では結構変わったつもりでいます。
一体何が変わったのでしょうか?
家計簿をまとめなくなった
無職になりたての頃は定期収入がなくなった恐怖で自販機でジュースを買うのですらビクビクしていました(笑)
これはリタイア後から3年ほど真面目につけていた家計簿で、税金や保険料を含めても年間200万円もあれば生活できることが判ったことで、妙な恐怖感が消えました。

一番怖いのは判らないことで、どのくらい使うか判ってしまえば対処のできる単なる面倒事になり、恐怖の対象ではなくなるようです。
まだ辛うじて家計簿はつけているものの、月間収支を出したりするのは面倒くさくなって放置しています。気が向いた時に全体の資産を計算しますので、それである程度把握すれば十分な気がしています。
ちょっと高級な食材やコンビニでの買い物にためらいがなくなった
学生時代からコスパが一番いいもの=いい物として選ぶ癖があったのですが、Puchiは逆に高いもの=いい物と考えているようで、リタイアして一緒に生活し始めた頃は衝突することがよくありました。
その後、Puchiの薦めるちょっと高いちくわや魚を買ってみたら全然美味しかったり、逆にコーヒー豆や牛乳は高くても差がわからないことなどが判明し、コスパだけではなく満足感も重視できるようになりました。
またわんこの散歩ついでにコンビニに寄って、スーパーなら半額で買えるような思い思いのジュースやおやつを買って来るという、コスパを重視したらNGなことも楽しみとして気軽に出来るようになりました。
当然出費は多少増えているハズですが、お金を貯めることだけを目指しても、死んだら政府に没収されるだけなので、それこそ一番コスパの悪いことになってしまいます。
まだ完全に安心できるような資産はないので、貯めることを目指しつつも、より良く使うことも意識しようと、今では考えています。
自営業をやるこだわりが消えた
仮にサラリーマンを辞めても、いつかはなにか人に説明できるような肩書として自営業をやりたいと考えていたのですが、今ではどうしてもやりたい事が出来たらやって、出来なければ無職のままでも別にいいと思うようになりました。
社会に属しているとどうしても肩書で評価されます。
よってリタイアして無職になると、とても気まずく感じるのですが、一旦社会から離脱してしばらく経つとそもそも評価されること自体がなくなるので、肩書なんて大した魅力がなくなるようです。
また、生活費のために自営業をやると考えると、物にもよるでしょうが失敗する可能性を踏まえれば自営業よりも投資のほうがよっぽどコスパがいいのではないかという気がしています。であるならば、やりたいと思えたらやって、思えなければやらない方が理に適っていそうな物です。
社会からの自由、お金からの自由
わんこを呼ぶと、凄い嫌そうなオーラを全身に漂わせ、のろのろと一歩づつ近づいてきますが、それ以外のときは大抵横にくっついて来ます。
やることそのものよりも、強制されることがとても嫌なようです。これは案外、人間でも同じ様な気がします。
宿題をやろうと思っていたのに「宿題しなさい!」と言われた、あの時のあの気持です。
自由は尊く、何故ならば不自由は恐怖だからです。好きな時に逃げられない不自由は、本能的には危ないことで、場合によっては生命の危機につながるからかも知れません。
だからこそTochiは社会からの自由に憧れたのかも知れません。勇敢だったからではなく、臆病すぎたが故に。
リタイアして社会からは自由になりました。できることならば、次はお金からも自由になりたいところです。そして最後には・・生命からの自由・・・🙏 なーむー
やる気からの自由 by くーぴー
コメント