「ブラック・スワン」の著者として有名な、ナシーム・ニコラス・タレブさんの<PR>「まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」を読みました。
タレブさんの本は「ブラックスワン」の他には「身銭を切れ」も読んだことがありますが、総じて似たような内容で、一般とは敢えて逆の視点で重箱の隅をいじくり回して穴を開けてしまう様な話が刺激的で面白いです。何かとても重要な事を言っている様な気がする・・。けど結局何を言いたいのかはよくわからない感じ(笑)
まぁ、Tochiの知識が不足しているだけか理解力が足りないだけでしょう。理解できた人に易しく教えてほしい!
例によって気になった箇所を抜粋します。
理論のあり方は2つしかない
1.検証が行われ、適切な形で否定(ポパーは反証と呼ぶ)されて間違っていることがすでに分かっている理論。
2.まだ反証が成功していないので、間違っているかどうかは分からないけれど間違っていることが証明される可能性のある理論。
理論が正しいことがないのはなぜだろう?白鳥は全て白いとわかることは決してないからだ(ポパーは私たちの認識の仕組みには欠陥があるというカントの考えを借用している)。検証の仕組みにも穴があるかもしれない。しかし黒い白鳥がいるという命題を立てることは可能だ。理論を正しいと証明することはできない。理論は一時的に容認されるだけだ。先ほどのカテゴリー2つのどちらにも当てはまらない理論は、理論ではない。どういうことになったら間違っていたと証明されるかがはっきり示されない理論は、イカサマのそしりを免れない。そういうのがないと反証できないからだ。
生存バイアス
起こる可能性のある全ての歴史の中から、その一つが全く偶然に実現しただけなのに、私たちはそれを全体の代表的な一つだと思い込み、他にも可能性があったのをすっかり忘れてしまう。端的に言うと、生存バイアスがある場合、一番成績が良かった結果が一番目につくのだ。どうして?負け犬はのこのこと出てきたりはしないからである。
トレーダーと科学的アプローチの対照表
情緒の役割
ダマシオの「生存する脳」の仮説はとても単純だ。ダマシオによると、情緒が一切ない人間は、最も単純なことさえ決められなかった。朝はベッドから起きてこられず、あーでもないこうでもないとあれこれ悩んで1日を無駄に過ごす。なんてことだ!予想されていたのとまるっきり逆だ。人は情緒がなくては意思決定ができないのである。ちなみに、数学でも同じ答えが出ている。多数の変数を操作して行う最適化の場合、私たちのように巨大な脳を使っても非常に単純な課題でさえ解決するにはとても長い時間がかかる。だから私たちには近道が必要なのだ。情緒があるおかげで、私たちは煮え切らない態度を取らずに済んでいるのである。ハーバード・サイモンの考えを思い出さないだろうか。仕事をしてくれるくれているのは情緒だったようだ。心理学者たちはそれを「理論に対する潤滑油」と呼んでいる。
ジョセフ・ルドゥーの理論も行動に対して情緒が果たす役割を扱っているけれど、もっと強力だ。情緒は思考に影響を及ぼす。彼は情緒のシステムから認知のシステムへと流れるつながりの方が認知のシステムから情緒のシステムへと流れるつながりより強いことを発見した。それが示唆しているのは、私たちはまず(大脳辺縁系で)情緒を感じそれから(新皮質で)理屈を考えているということだ。クラパレードの発見のところで見たように、私たちがリスクについて持つ意見や評価は単なる情緒なのかもしれない。
私はあんまり賢くない
私は、自分が偶然に騙されるようにできていることがわかる程度に、そして自分が感情的だという事実を受け入れられる程度にしか賢くない。私は自分の情緒に支配されている。私と、私がからかった人たちの差は、私がそうしたことを知ろうとする点にある。確率をどれだけ長く研究し、理解しようと努めても、私の感情は学んだのとは違う計算をしてしまう。私の知性のない遺伝子が私にそんな計算をさせようとするからだ。私の頭はノイズとシグナルを見分けられるかもしれないが、私の心にはそんなことはできない。日々のちょっとした感情は合理的ではない。でも、正常に動くためには私たちにはそうした感情が必要なのだ。
レイディ・フォルトゥナ(運命の女神)の意のままにならないのは、たった一つ、あなたの振る舞いだけだ。
幸運を祈る。
Tochiの勝手な感想
ヒトは成功は自分の努力、失敗は運が悪かったせいにする傾向があるそうです。
これがタレブさんに言わせると大部分の成功だって実は “まぐれ” とのこと(但し努力は大前提!)。まぁそりゃそうだろうなー(・・で?)
タレブさんの本はどれも例え話がいちいち小難しいし独特だし多すぎるので結局何が言いたいのかいつもよくわからなくなってしまうのですが、振り返ってみると実は案外当然のことを(回りくどく)言っている様な気もします。
兎にも角にも皮肉(=悪口?)まみれ。おでんに少々の辛子ならいいのですが、辛子におでんを乗せている感じで食べ進めるのに苦痛を伴います。でも何故か先が気になるという不思議な料理。
辛味が恋しくなった時に最適かと。
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